れきし屋台

歴史の面白い話や意外な話とかのお品書きです!

「それ本当!?」幕末有名人10人の意外な話!!

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こんばんは!れきし屋台です!


 幕末の有名人と言えば誰を思い浮かべますか?数多の人が理想や信念の為に命を燃やした動乱の時代。そんな時代だからこそ日本史に残る人物も多く、今も人気なのかもしれません。

 

今回は幕末を生きた有名人について、「やっぱり偉人も人の子なんだなぁ」と思える面白いエピソードや意外なエピソードを紹介します!

 

勝海舟

【犬が大嫌い】

幼少の頃に通学路で野良犬に股間を噛まれ生死の境をさまようトラウマを刻まれました。それは大人になっても犬を見ると怯えて震えるほどだったそうです。あり得なくはないけど「どうしてそうなった?」と思ってしまいます。

ちなみに勝さんはこの時にお玉様を一つ失っています。

 

アメリカ視察の報告で怒られた】

サンフランシスコ視察について「特に変わったことはありませんでした」と報告し「そんなことないでしょう?」と食い下がられ「アメリカは民間も政治も賢い人でした、そこのところは我が国と逆ですね!!」と言い放ち上司に超怒られたそうです。皮肉にしても言い過ぎと思いますが、当時給料の低さに拗ねてたって話もあるので勢い余って言っちゃったのかな?とも思います。

また、渡米の船内では船酔いで自室に引きこもってたとか・・・時代の荒波に乗る勝さんも海の波には弱かったんですね。

 

坂本龍馬

 

【半平太の家いったら取り敢えず立ちションする!!】

13歳までおねしょが治らなかったなんて話もある龍馬には悪癖があったそうです。

それは友人の武市半平太の家に遊びに行く度に玄関先に立ちションしてたそうです。(庭って話もあるみたいです)

半平太の奥さんは当然困る訳で、止めさせるよう半平太に訴えるがスルーされたそうです。でも「したいならトイレいけよ」くらいは思ってたかもしれませんね。他にも袴の紐を舐めながら話す不思議な癖もあったみたいです。

 

海援隊は三菱の元になった?!】

明治になり海援隊は解体されましたが、元メンバーの岩崎弥太郎設立した九十九商会が現在の三菱へと繋がっていくそうです。土佐藩主、山内容堂の家紋「三つ柏」に岩崎家の家紋「三階菱」を重ねたものが三菱の「スリーダイヤマーク」になったと言われています。

 

【婚約ブッチした】

江戸に出て来てから入門した千葉道場の娘、千葉さな子と婚約しますが(結婚してたとの話しもある)、寺田屋での襲撃の際に龍馬を助けたお龍と結婚します。さな子さんは龍馬暗殺後も独身を貫きお墓にも「龍馬の妻」と刻まれています。

 

ジョン万次郎

【頑張って稼いで仲間と日本に帰ろうとしたがボッチで帰ることになった】

漁で遭難しアメリカの捕鯨船に救助されサンフランシスコへ。ゴールドラッシュに乗り稼ぎまくってハワイで途中下船した仲間を迎えにいき日本に帰ろうとしたが仲間達は現地で家庭を持っていたので結局一人で日本に帰ってきたそうです。

万次郎「おーい!みんな!!帰国の金稼いだから国に帰ろうぜ!!」 

仲間「嫁さんいるんでハワイに居るっスわ(笑)」こんな感じですかね。

 

遭難から帰国まで11年くらい経ってるので仕方ないと言えば仕方ないのですが少し切ないですね。ちなみに万次郎さん帰国前までに1,000万円くらい稼いだそうです。

 

 

板垣退助

 【名言は言ってない?!】

「板垣死すとも自由は死せず」板垣退助と言えばこの言葉と思うほど有名ですが実際は言ってないみたいです。

暴漢に何度も刺され声も出なかった、土佐弁で「おらを殺したち自由が死ぬるかねや」と言った、「痛ぇ!医者を呼んでくれ!」と言った、など諸説あるようですが個人的には医者を呼んでくれが人間味があって好きです。

 

この言葉は板垣さんの秘書が叫んだ言葉が新聞社が板垣さんが言ったことにしたそうです。確かにそっちの方がドラマチックでカッコいいとは思いますが、何度も刺されて死ななった不死身っぷりの方が凄いと思います。

この事件以降、30年以上生きてますからね…

 

木戸孝允桂小五郎

  【最強の一手!「トイレいきたい!!」】

様々な職業、時には女装までして新撰組や見廻組の追走を振り切った桂さんも禁門の変の直後に捕まります。しかし「トイレいきたい!!(漏れる!くらいの勢いで)」と騒いで隙をついて見事逃げ切ったそうです。逃げの小五郎と呼ばれても譲れないものがあったからこそ敢えて逃げ回ったと思うと面白いエピソードでもカッコいいと思ってしまいます。

 

西郷隆盛

西郷どんのアレは近代武装級だった】

グラバー商会から強力な武器を購入し近代武装をしていた薩摩藩ですが、西郷どん股間には強力な主砲と砲弾が搭載されていたそうです。ナチュラルボーンなものではなくフィラリア感染による肥大ならしいです。

西南戦争で亡くなることになりますが、首がなくてもアレのお陰で「あ、これ西郷どんだ」と判別できたとか・・・

 

デブ専だった?!】

デブ専は言い過ぎかもしれませんが、ふくよかな女性が好みだったらしいです。好みは人それぞれなので全然良いんですが、もし西郷どんクラス偉人に「おいどんはもっとぽっちゃりしたおなごが好きでごわす!」とか言われたら男女問わずリアクションに困りますよね。

 

肖像画は弟】

西郷隆盛と断定されてる写真は現存しないそうです。肖像画については弟や従兄弟がモデルになってるみたいですが何故混ぜたのでしょうかね。

 

近藤勇

【意味不明な特技、こぶしが口に入る】

近藤勇はこぶしを丸ごと口に入れる特技を持ってたそうです。そしてかなりの大食漢だったらしく、とろろ飯を19杯も食べたなんて逸話もあります。現代のフードファイターも口を大きく開ける人が多いので大食いと口の大きさの関係が気になるところですね。

この特技については戦国武将、加藤清正も同じことができたらしく近藤さんは特技を披露しながら加藤清正のように立身出世したいと語ってたそうです。

 

その他、意外なエピソードではありませんが相当な刀マニアだったらしく暇さえあれば刀について語っていたそうです。

 

土方歳三

 【親戚にモテ自慢してた】

イケメンでモテた土方さんですが、上京してから拍車をかけてモテたそうです。それだけなら面白エピソードにならないのですが、親戚に貰ったラブレター同封でモテ自慢の手紙を俳句まで付けて送ってしまいます。内容としてはざっくり「仕事に影響出るくらいモテて困るよ~」です。

 

鬼の副長と呼ばれ厳しいイメージのある土方さんですが、幼少期にバラガキ(いわゆるヤンキー)と言われてたりモテ自慢をする一面を知ると人間味を感じますね。

 

沖田総司

【ドラマやマンガとイメージが逆?!】

沖田総司と言えば天才剣士で結核を患ったことから色白で小柄な美少年のイメージですが実は色黒で身長168~172cmくらいの当時としては長身だったそうです。

ヒラメ顔とも言われ、目が細くよく笑う愛嬌のある顔だったと言われています。

 

剣の腕前は1回の踏み込みで3回の突きを繰り出すなどマンガみたいなこと本当にやっちゃうほどの実力で、性格も敵対する人間以外には陽気に接し、子供面倒見も良かったそうです。このあたりは現代に描かれている沖田総司像と一致してると思います。

 

原田左之助

【喧嘩で本当に切腹した(笑)】

新撰組で活躍する以前、上官とケンカになり
「腹を切る作法も知らぬ下司め」と罵られた佐之助さんはキレて本当に腹切っちゃいました。もちろん生きてたら訳で、このエピソードから『死損ね左之助』とあだ名されたそうです。他にも酔っぱらって帰宅して先輩に諌められても口答えして水責めの罰受けたりとかなりやんちゃだったみたいです。

 

そんな左之助さんは意外にも愛妻家の子煩悩だったそうです。ギャップ萌えですね。

 

 

最後に・・・

如何でしたか?動乱の活躍やその後の明治の功績だけで見ると生き様が凄すぎて「雲の上の人」と感じます。凄い人達には変わりはないのですが完全無欠ではない一面を知ると親近感が湧きますよね。

 

幕末の偉人達のエピソードが皆様の話の種になれば幸いです。それではまた!

 


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